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日本人最初の集団移民−「元年者」の渡航問題
柏木 史楼

 日本最初の集団移民となったのは、よく知られているように1868年(明治元年)5月17日、横浜を出港したイギリス船籍の「サイオト号」に乗った153人(149人説など異説も)でした。この移民は、ハワイ政府の強い要請に基づいて準備されていましたが、移民許可を出した徳川幕府が瓦解し、明治新政府はこの移民を認めなかったため、無断で出港してしまうという、国際関係から見ると最悪な事態に陥りました。

ホノルルに設置された移民局。彼方にダイヤモンドヘッドが見える

 ハワイ政府は1864年、移住民局を設置し、労働力不足を解決するため外国からの労働力を導入しようとしていました。しかし、前回でも書いたように、それまでの外国人労働力として受け入れていた中国人に対しては、アメリカで中国人排斥運動が起きていたこともあって、中国人の代わりとして日本人移民の導入を計画していました。その中心となったのは外務大臣のR. C.ワイリーでした。ワイリー外相はサトウキビプランテーションの所有者でもあり、個人的にも日本人の労働力導入は必要なことでした。しかし、ワイリー外相の目的は、労働力導入だけにとどまらず、ハワイアンと同じ非白人種の日本人をハワイ社会に同化させ、そのことによってハワイ人の人口増加をも期待していたようです。

 このようにワイリー外相をはじめとするハワイ側が、日本人に対して一方的な思い入れをするようになった背景には、1860年に遣米使節団を乗せたアメリカ海軍軍艦「ポウハタン号」が往路、ハワイに立ち寄ったこと、遣米使節団の護衛船だった「咸臨丸」が帰路、ハワイに立ち寄ったことが大きく影響しています(使節団本隊は大西洋を渡って世界一周する形で帰国しています)。特に咸臨丸は日本籍であり、日本人による操船であったことがハワイアンに驚異の目で見られる結果となったようです。

岸田吟香がバンリードとともに 創刊した「横浜新報もしほ草」

 ワイリー外相は日本政府(徳川幕府)との交渉のため1865年、横浜に在住していた貿易商人のバンリードを日本駐在総領事に任命し、日本との通商条約の締結と日本人移民の導入に対する準備に当たらせました。バンリードがどのようにして幕府を説得したのかは定かではありませんが、ともかく幕府の了解を取り付け、江戸で移民の募集を行うことができたことは、日本が鎖国を解いて開国した1854年から数えて、わずか14年しか経っていないことを考えると、隔世の感がします。

中浜(ジョン)万次郎。氏の中浜は土佐の故郷から名づけた

 当時、最後の将軍慶喜の大政奉還、鳥羽伏見の戦い、薩長土肥軍いわば官軍の江戸占領などという混乱の中で、幕府の渡航許可が下りたことは、幕府内に勝海舟や福沢諭吉、通訳として裏方の仕事をしていた中浜万次郎など咸臨丸に乗船していた、ハワイをよく知る者たちの存在が大きかったと言えるでしょう 。

 しかし、バンリードはハワイの総領事としては幕府から認めてもらえず、通商条約の交渉も拒否されてしまいました。ところが、ハワイとの通商条約の締結もないまま、幕府は350名の渡航許可と180名分の印章(旅券)の交付を行います。

 バンリードが移民の募集・送り出しの準備を進めている間に、明治新政府は江戸城を開城して実質的に日本の統治権を確立してしまうと、旧幕府が認めたハワイ渡航許可の取り消しと旅券の無効を宣言してしまいます。簡単に言ってしまえば、前政権のやったことなどメンツの上からも認められないということだったようです。新政権にとって前政権の政策を否定することが、権力を誇示できる最もてっとり早い手段だと言えます。しかも、新政権の中にはハワイのことを知っている者など、ほとんどいなかったことも災いしていたのでしょう。

 バンリードは進退に極まりました。既に200人近い渡航希望者を集めていて、いまさら引き返すわけにはいかない事情が出来上がっていました。そこで、米英仏の各大使らに助力を求める一方、着々と渡航のための既成事実を作り上げていきます。イギリス船籍の「サイオト号」を雇い入れ、そしてバンリード自身はアメリカ人であること、さらにハワイの総領事でもあることなどという、込み入った国際関係を巧みに利用しつつ、新政府の対応を混乱に陥れていきます。新政府はリードの国外追放という強攻策も検討していましたが、なかなか決断が付かないうちに、バンリードは「サイオト号」を無断出港させてしまいます。それを新政府の役人たちは、だれも止めようとはしなかったのです。こうして、日本−ハワイ関係にとっては不幸な形で、最初の集団移民が実現することになってしまいました。

【「バンリード」の表記について】

 幕末に駐日ハワイ総領事となったバンリードについては、リード、バン・リード、ヴァンリード、ヴァン・リードなどのように、いろいろな表記があります。英語表記ではEugene M. Van Reed と書くようですが、オランダ系アメリカ人であるため、イギリス系の氏名にはあまり出てこないVanの扱いが困りもののようです。英語表記でもVanreedと書かれている場合もあるようなので、バン(もしくはヴァン)とリードの間に「・」を入れるかどうか、迷うところです。ここでは、一応「バンリード」に統一しておきます。なぜ、「ヴァン」ではなく、「バン」とするのかは、「ヴ」は現代の日本語表記ではほとんど使われていないためです。「V」と「B」とを区別するために「ヴ」を採用すべきだという意見もあると思いますが、もっと重要な「R」 と「L]とを区別できない日本語で、「V」と「B」を区別しなければならない意味はあまりないと思うからです。例えば、「フリーマーケット」を「自由市」と思い込んでいる人は、一度、辞書を引いてみてください。正しくは「蚤(のみ)の市」であること、そしてなぜ、「自由」などと誤って理解しまったのかが分かるでしょう。

 


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