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ポリネシア・カルチャ−・センター
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> ポリネシア・カルチャー・センターについて
ポリネシア・カルチャー・センターはポリネシアの島々の文化の違い、そしてポリネシアの国民の力強い精神を世界の人々とわかち合うことができるユニークな文化財産となることを目的としています。
末日聖徒イエス・キリスト教会の協力でポリネシア文化を保存し、再現すると同時に、隣接するブリガムヤング大学ハワイ校の学生への奨学金、そして仕事の場を与えることを目的として、ポリネシア・カルチャー・センターは設立されました。
1844年
末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師がタヒチとその周辺のポリネシア諸島に上陸
1850年
当時サンドイッチ島と呼ばれたハワイに、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師が上陸
1865年
末日聖徒イエス・キリスト教会がオアフ島北部のライエの町に、ハワイの教会員が集まり助けあえるよう700万坪の土地を購入する
1914年
ライエに末日聖徒イエスキリスト教会の神殿建築工事着工開始
1919年
11月25日、感謝祭の日に神殿完成
1920年
末日聖徒イエス・キリスト教会宣教師が目立ったポリネシア諸島で土地の人々と生活を共にし、現地の言葉を話し布教する。
1921年
多くのポリネシア人がライエを訪問する。小さな町ライエは太平洋の「人種のるつぼ」と 呼ばれ、国際色の豊かな町となる。
末日聖徒イエス・キリスト教会の若いリーダー、デビット・オー・マッケイは、各国からの子供達がアメリカの国旗に敬礼を捧げる姿を見て深く感動する。現在、BYUハワイ大学のマッケイフォイヤー入口に、その当時の光景がモザイク画で描かれています。マッケイはライエに作られた信仰の象徴である神殿に続き、教育の必要性を感じ、ライエが信仰と教育の中心となることを望む
1940年
基金調達の目的でライエの町の教会員の間で始められたフキラウ(ルアウとエンターテイメントで飾られたフィッシングフェスティバル)が観光客の目をひく
1950年
当初より有名になったハワイの歌「フキラウでルアウを」の歌声にのせ、多くのバスに乗った観光客が大学へ通うポリネシア人の学生による「ポリネシアン・パノラマ」を見学しにライエを来訪
1955年
末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長となったマッケイは、ハワイの教会教育大学運営の指揮をとる
同年、マッケイは多くの島からの若者に、勤労宣教師として大学キャンパスの建設に携わるよう求める。優れた建築家らの指揮のもと、大学の建築は進められる。マッケイは、この大学で学ぶ学生は将来多くの人々に影響を与えることを望んだ。
マッケイが初めてライエを訪れた頃、マシュー・カウリーというもう一人の若者が、ニュージーランドでの宣教を終えマオリ人や他のポリネシア人に対して親愛と敬意の念を抱く。時が経ち、カウリーは「ニュージーランドのマオリ人が美しく彫刻されたマオリ風の建物でできた小さな村をライエに持ち、トンガ、タヒチ、サモアなど太平洋に位置する島々が小さな村をライエにもつ日がくるのを心待ちにする。」とホノルルで演説する。 カウリーは彼の望みが叶うのを待たずに他界するが、計画を進めていた人々の心に深く伝わり、現実的なプランが日の目を見る
1962年
マッケイ大管長がポリネシア・カルチャー・センター(Polynesian Cultural Center)建設に許可を下す。彼はセンター完成が素朴なライエの町に住む学生の資金援助、そしてそこで得た経験も教育の一つと考える。
1963年
またしても100名以上の勤労宣教師の助けにより、初めは1.5万坪のタロイモの水田だった土地に39軒の建物を建設。腕のよい芸術家がポリネシアの島々から材料を集め伝統的なポリネシアの家や村を形どおり再現し、1963年10月12日ポリネシア・カルチャー・センターとしてオープンする。
オープン当初は、土曜日以外は600名着席可能のナイトショーを見学者でうめることは不可能だったが、ハワイ旅行のブームやハリウッドボール、そしてテレビのエドサリバンショーなどの影響により、センターへの入場者が急増し始める。1970年近くには、ナイトショーの座席数が1,300席まで増やされ、日曜日以外の毎晩、そしてピーク時には一晩に2回上演された
1974年
ハワイ教会教育大学は、ユタ州の
ブリガム・ヤング大学プロボ校(BYU)
の分校となる。現在
ブリガム・ヤング大学ハワイ校(BYU-H)
は、四年制の総合大学で約二千人の学生が学んでいる
1975年
ポリネシア・カルチャー・センター内のハワイの村を別の場所へ移転、マーケサス・トフア(儀式の場所)を新たに作る計画が実行される
1976年〜
1979年
約2,800名着席可能な階段状のナイト・ショー用の施設が完成する。1,000名着席可能なゲートウエイ・レストランが完成
1980年〜
1990年
この時期、1985年代のキリスト教宣教師の家や、フィジーの高さ20メートルにも及ぶプレ・カロウ(儀式の場所)やミュージアムストア、ヨシムラ・ストア、そして1920年代のポリネシア風のショップ、センター内の村々の改善、昔のフキラウに因んだユニークなルアウの建設、そして40分間の南太平洋の島々を舞台にしたIMAX映画「ポリネシアン・オデッセイ」などが制作される。
1990年
ポリネシア・カルチャー・センターは、再びセンターを訪れるお客様に新しい経験を体験して頂ける様、「気をくばりプラン」を進める
1995年
新しいエキサイティングなナイト・ショー「ホライズン−遥かなる文化の発見」の上演を開始。IMAX映画「大自然の海(ザ・リビングシー)」や多くの種類を揃えた新しいショッピングプラザ、「トレジャーズ・ オブ・ポリネシア」がオープン
観光庁長官登録旅行業986号
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