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横浜、山下公園のシンボルとして活躍し、客船「飛鳥」や「飛鳥II」出港の際には、汽笛で見送ってくれた氷川丸。その運営会社の氷川丸マリンタワー株式会社が昨年(2006年)12月25日をもって45年の営業に終止符を打ちました。今回は弊社スタッフが長い歴史を培ってきた同船内を探検!その歴史と共にご案内致します。
【氷川丸の歴史】
氷川丸は昭和5年4月25日に横浜船梁(現在の三菱重工・横浜造船所)にて竣工、同年5月13日シアトルに向けて処女航海の途につきました。建造費は当時の金額で655万円(現在の貨幣価値:120億円以上)。氷川丸の総トン数は11,622トンですので、現在の貨幣価値で1トンあたりの建造コストを割ると\1,032,524です。これに対し、日本生まれのダイヤモンド・プリンセスは116,000トンで、建造コストは500億円と言われていますので、1トンあたりの建造コストは\431,034です。単純な計算で的外れかもしれませんが、氷川丸建造のトン当たりの単価は、ダイヤモンドプリンセスの倍以上です。
定期航路に就航していたころの氷川丸の乗客は多彩を極めました。昭和7年には喜劇王・チャップリン、昭和12年には秩父宮ご夫妻が乗船されました。数々の航海記録を打ち立てた氷川丸は、日米関係が悪化する中で昭和16年8月シアトル航路を休止、73次航で航海を打ち切りました。その後、昭和16年11月に海軍に病院船として徴用、その後5年間南方にて活躍し、終戦後には復員・引揚者輸送に尽力しました。
昭和28年氷川丸は再び貨客船としての姿を取り戻し、その年の7月に太平洋を横断する日本唯一の本格客船としてシアトル航路に復帰、フルブライト留学生など日米の若い学生の他、昭和34年には米・加公演に赴く宝塚歌劇団も乗船、そして、航空輸送の発達と共に昭和35年を最後に航路を撤退、引退となりました。その間戦前、戦後を通じて北太平洋の荒波を238回横断、25,000人もの人々の船旅を支え、昭和36年、「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されました。平成15年11月、造船技術史上、建築史上、近代史上の価値が認められ、水面係留船舶としては全国で始めて、横浜市指定有形文化財に指定されました。
【探検記】
| エンジンルームにはB&W社のロゴが多数見受けられる |
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船と港をつなぐ鎖の上には一休みをする多くのゆりかもめ。太陽が見え隠れする中、まずタラップの手前で目についたのは「白灯台」。存在感のあるこの灯台は船舶の交通標識として1896(明治29年)明治29年から1963(昭和38)年まで実際に活躍してましたが、1958(昭和33)年にイギリスの船会社キュナードの豪華客船がこの白灯台に接触し、水路の幅が狭いということとなり、水路拡幅の際に撤去された横浜最古の灯台です。灯台の手前でタラップを上り、船内でまず向ったのはエンジンルーム。戦前に造られたここは「B&W」の文字通り、デンマークB&W社製のエンジンを取り入れ、3階層に広がっています。最大出力は11,000馬力、最高速度は18.21ノット。現在のクルーズ客船は20〜22ノットの船が多いので、最近の船と比べると少し遅めなのでしょうか。
更に足を進めると、次にあるのが40隻以上の歴代の日本の貨客船模型や氷川丸建造前に提案された船内意匠計画着色画(カラースキーム)や、客船模型で有名客船の移り変わりが展示してあるギャラリーがあり、過去の華やかだったころの豪華客船の時代を物語っています。
氷川丸ギャラリーでは初代キャプテンのエピソードや喜劇王チャップリンが乗船した際のエピソードなどが展示してあり、非常に興味深くて面白い内容となっています。ギャラリーを満喫した後は船の最先端、船首へ。船が停泊する際に船体と港をつなぐ鎖がここでは見ることが出来ますが、その重さは一つが何と20kg!歴史を感じるブリッジには荒波を耐えるためにガラスの厚さは20mmを越えるとの事。そこを通り抜けるといよいよ操舵室。最新鋭のクルーズにはないいわゆるイメージ通りの舵(操舵輪)を見る事ができます。又、当時の安全祈願が見て取れる日本船ならではの神棚もありました。航海中、何かあった時にすぐに操舵室へ行ける様にキャプテンの部屋はブリッジのすぐ下にあります。
さて、ここからは客室へ。氷川丸の装飾、コンセプトは「アール・デコ」を抜いては語れません。アール・デコは1925年パリ万博で発表され、20世紀のモダンを象徴する新装飾様式としてヨーロッパを中心に流行。1930年に建造された氷川丸には、流行の最先端であるアール・デコ様式が採用され、その設計とインテリア材料はフランスのマーク・シモン商会が担当しました。現在でも観覧用として残されている一等喫煙室は休憩所として利用できます。
当時日本の皇族や名優チャップリンなど世界の著名人が利用された特別室(スイートルーム)は、現在の豪華客船の客室と比べると決して広々とした感じはありませんが、渦巻きや幾何学模様の美しい装飾を始め、色濃い木目が映し出すモダンな雰囲気など見ごたえ十分でした。また、三等の客室も見ることができました。二段ベッドが8床並んだ狭い客室はまさに映画「タイタニック」で主人公ジャックが宿泊した客室のようでした。ちなみに、当時の客船では一等の旅客は現在の客船のように豪華な食事が楽しめたそうですが、二〜三等の旅客の食事は質素なものだったそうです。
【船内探検を終えて】
私が感じたのは「氷川丸」自体はもちろんの事、氷川丸からみる山下公園やMM21、そしてそこで感じる優越感の様な感覚もここに来るべき要素のひとつに思います。華やかな頃の日本の豪華客船内部を直に見る事が出来る貴重な存在だった氷川丸。営業終了後は、かつてこの船を運航していた日本郵船に譲渡されるそうですが、今後の方針は決まっていないとのこと。今後もその優美な船内に再び出会える日がやってくることを祈りつつ・・・。
追記:2008年4月25日(金)より氷川丸がリニューアルオープンし、一般公開される予定との発表が日本郵船よりありました。4月25日は、ちょうど氷川丸が竣工してから78年目の誕生日にあたるそうです。今から再オープンが楽しみですね!(2008年2月)
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