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今年(2006年)、話題をさらった「飛鳥II(旧クリスタルハーモニー)」、先代の名船「飛鳥」、そして建造時は世界最大級を誇り、日本の造船所で初めて建造された外国のクルーズ会社の大型クルーズ客船「ダイヤモンドプリンセス」や「サファイアプリンセス」など、皆さんにもおなじみの豪華客船たちが生まれたのは三菱重工長崎造船所です。
クルーズ客船以外にも多くの船がこの造船所で誕生しています。たとえば最近ですと、日本のフェリー最長の224.5m、世界初のハイブリッド型二重反転式プロペラポッドにより航海速力30.5ノットで舞鶴と小樽を結ぶ国内フェリーでは最速の新日本海フェリー「はまなす」、「あかしあ」の姉妹船も、ここ長崎で建造されました。
造船所の設立は、1857(安政7)年にまで遡ります。時の徳川幕府の長崎鎔鉄所として創設、明治維新後は官営となり、1884(明治17)年に郵便汽船三菱会社(日本郵船の前身)に貸下げられました。

| 1834年オランダより輸入されたイギリス製の潜水器具「泳気鐘」 |
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三菱重工長崎造船所は長崎市内にいくつかの工場がありますが、史料館は三菱重工発祥の地、飽の浦の本工場内にあります。資料館の建物は1898(明治31)年に木型場として建設された、木骨煉瓦造二階建ての建物を利用し、1985(昭和60)年10月に開館しました。100年以上、空襲や原爆の爆風をも耐え抜いた建物に入ると、大工場の一角にいるとは思えないレンガの持つ温もりと暖かさを感じる静寂な空間の中に、この造船所で誕生した数々の名船に関連する資料や、製作や使用された各種の大型機器などの貴重な資料が展示されています。
館内の展示は、三菱創始者で土佐出身の岩崎彌太郎を始めとする岩崎家を紹介する「岩崎家コーナー」から始まります。中には三菱グループの社章スリーダイヤモンドが、岩崎家の家紋「三階菱」と今年の大河ドラマでたびたび目にする機会のあった土佐藩主山内家の家紋「三ツ柏」が組み合わさりできた展示などもあり面白く感じました。
次の「官営期コーナー」では、徳川幕府の長崎海軍伝習所として設立した当初の造船所の様子を写真パネルで見ることができます。中でも目を引くのは、長崎鎔鉄所建設時に岸壁工事に使われた潜水器具「泳気鐘」です。これは、第11代将軍家斉の命により1793(寛政5)年に長崎・出島のオランダ商館に注文され1834(天保5)年長崎に到着したもののしばらく活躍の場はなかったのですが、鎔鉄所建設が始まると岸壁の工事に活躍したそうです。

| 1857年に幕府がオランダより購入した堅削盤は日本最古の工作機械。重要文化財に指定されている |
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やがて、明治維新を迎え官営となった後、郵便汽船三菱会社に貸し下げられ積極的な経営で本格的な造船所として発展してゆきます。「三菱創業期コーナー」には、1887(明治20)年に竣工した長崎造船所初の鉄製汽船「夕顔丸」の操舵輪も展示されています。1898(明治31)年には国産初の近代的大型貨客船「常陸丸」も竣工し、日本の造船技術も欧米と肩を並べるまでになりました。「常陸丸」は日本郵船欧州航路開設時に発注された大型船6隻の中の一隻で、他の5隻はイギリスで建造されました。日露戦争の折、陸軍御用船となり兵員輸送中に玄界灘でロシア艦隊に砲撃され沈没してしまいました。館内には、その時「常陸丸」と供に航行していた「佐渡丸」の外板の砲弾穴を修理の際に取り外したものも展示されています。
明治後期になると、いよいよ日本客船史上に残る豪華客船が誕生します。「明治後期コーナー」では、後に旅客部門が日本郵船に併合されることになる東洋汽船のサンフランシスコ航路の1908(明治41)年に竣工した「天洋丸」、続いて竣工した「地洋丸」「春洋丸」の三姉妹各船の写真やカラースキーム(室内装飾画)もパネル展示されており、当時の最先端の客船内部の様子を垣間見ることができます。造船所には1909(明治42)年に建設され、今も活躍している150トンクレーンも紹介されています。
大正時代になると、長崎造船所でも戦艦の建造がスタートします。真珠湾攻撃にも参加した「霧島」をはじめ数々の軍用艦が、商船とともに建造されるようになりました。戦艦「霧島」進水式の記念品なども「大正期コーナー」に展示されています。また、1914(大正3)年に竣工した日本郵船の「諏訪丸」は日本最初の全溶接船でした。

| 航空母艦改修時に取り外された「あるぜんちな丸」一等食堂の蒔絵飾棚 |
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昭和に入ると世界的な大不況の中、1929(昭和4)年に太平洋の女王と称された「浅間丸」、翌年には姉妹船の「龍田丸」が長崎で竣工し、日本の客船黄金時代が始まります。「昭和戦前期コーナー」には、日本の海運業界激動の時代を象徴する数々の船舶の資料が展示されています。日本は1936(昭和11)年にロンドン海軍軍縮会議より脱退し、補助艦艇の不足を感じていた日本海軍は、翌1937(昭和12)年の優秀船舶建造助成施設により、民間の優秀船舶が建造される際に補助金を出すようになりました。そのため数々の名船が誕生することとなります。「浅間丸」については、カラースキーム(室内装飾画)やその他の資料から、華やかだった客船の黄金期を伺い知ることができます。
また、鉄道省の関釜連絡船「金剛丸」と「興安丸」もこの時期を代表する客船でしょう。世界最初の船内電力を交流化し、当時の日本商船の最高記録23ノットを超えた日本最速で、日本最初の全室冷暖房の設備を持つ船でした。戦後「興安丸」は大陸からの引き上げ船として活躍しました。
この後に長崎で建造された客船には、日本郵船のN・Y・Kのイニシャルを冠した新田丸・八幡丸・春日丸の3隻(いずれも後に特設空母に改装後、アメリカ軍の潜水艦に撃沈されている)や、大阪商船の南米航路移民船で流線型の優美な外観で人気を集めた「あるぜんちな丸(初代)」「ぶらじる丸(初代)」、
そして優秀船舶建造助成施設のハイライトながら建造途中で航空母艦に改装された戦前の日本客船史上最大の総トン数27,700トンの日本郵船「橿原丸」などが挙げられます。
また、大正時代より始まった軍艦の建造でも歴史に残る巨大戦艦「武蔵」が建造されます。「戦艦武蔵コーナー」には、数少ない武蔵の写真をはじめ、三方を山に囲まれた長崎造船所で極秘裏に「武蔵」を建造した際の大変なご苦労を垣間見ることができる資料が展示されています。建造中の武蔵を外部から見えないように全面をシュロのすだれで囲うことになり、造船所がシュロを買い占めたために漁具に使うシュロの網が品薄になってしまったり、船台で建造したため進水させる際に長崎港内に高波を発生させ対岸の住宅で床上浸水の被害を受けたところもあったそうです。
戦後は、溶接技術とブロック工法の研究開発の結果、数々の優秀な船舶が誕生してゆきました。昭和30年代には単一の造船所としての進水量で世界一を記録、タンカーが中心の第2次輸出船ブームが過ぎ去ると、船舶も多様化かつ小型化する時代がやってきました。造船所の操業量も低下してゆく中で、追い討ちをかけるように1985(昭和60)年のプラザ合意で為替レートが急激に変動し、オイルショック以降続いてきた造船不況がさらに深刻化し、一時日本の造船業も苦境に立たされました。

| 太平洋の女王と称された日本郵船「浅間丸」のメニューなど |
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そのような状況の中、1980年代後半には日本郵船が客船事業の復活を決定しました。まず、北米マーケット向けの「クリスタル・ハーモニー(現、飛鳥II)」が1990(平成2)年竣工します。長崎造船所としては半世紀ぶりに再開された客船の建造となりました。その翌年には、郵船クルーズの飛鳥(現在はアマデア)も竣工しました。「客船コーナー」には、長崎造船所で建造された戦前の客船から現在の豪華クルーズ客船までさまざまな資料が展示されています。2004(平成16)年に竣工したプリンセス・クルーズの大型クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」「サファイア・プリンセス」の2隻もここ三菱重工長崎造船所で誕生しました。
「サファイア・プリンセス」については、皆さんも記憶に新しいことと思いますが、建造中に火災事故が発生しました。事故後に焼損部撤去から復旧していった様子も写真パネルで詳しく展示されています。余談ですが、別の機会に「サファイア・プリンセス」を運航するプリンセス・クルーズのスタッフから伺った話では、海外の造船所で建造された他の船と比べると長崎生まれの2隻は、故障も少なくメンテナンスの際に直す箇所も格段に少ないとの事で、「サファイア・プリンセス」以後、長崎造船所でのクルーズ客船建造はありませんが、近い将来、新しい客船の建造が期待されます。
船の話ばかりしてきましたが、造船所は船だけを作っているわけではありません。発電所のタービンや風力発電の翼なども展示され、また、江戸時代より海外に開かれていたドックや長崎港の変遷を知ることができる写真や絵図・絵画、さらにはかつて使用されていた計算機や往時の工場内の写真なども展示されています。
今回、三菱重工長崎造船所の史料館を見学させていただき、近代日本の歩みと苦難の歴史を改めて感じることができました。船に興味をお持ちの方には大変興味深い資料が展示されており、平日だけの公開ですが、予約をすれば見学可能ですので、長崎訪問の折にご見学されてはいかがでしょうか。
三菱重工長崎造船所ホームページ:
http://www.mhi.co.jp/nsmw/
左側メニューの「造船所の文化・歴史遺産」の「史料館」より、史料館の詳細と公開日や申込方法がご覧いただけます。 |