所要時間 各ポイント間の所要時間を示そうとしています。 これにはかなりの無理があります。チベット人の巡礼者は通常、一日で廻ります。普通の日本人には、とてもできることではありません。なにせ、標高四千五百メートルの高地なのですから。 通常、一泊二日から二泊三日。ゆっくり歩いて三泊四日。 時間にすればこれだけの幅がある。それを、「所要時間」として示すことの無理です。 カイラスの巡礼路は52キロ。それは、決まっています。それなら、各ポイント間を距離で示せばよいのかとも考えます。 ただ、繰り返しますが、標高四千五百メートルの高地です。日本人なら大抵強い高地障害を感じます。ボーッとした感じ。頭痛、吐き気。多かれ少なかれ、そういったものを感じながらの、普段とは違った感覚のなかでの歩行になります。距離で言われるよりも、時間で言われた方が分かりやすいのではないか。 というわけで、無理を承知で「所要時間」で表します。そのつもりでご覧下さい。 タルチェン〜チャンギャガン 1:00〜2:00 チャンギャガン〜タルボチェ 0:40〜1:00 タルボチェ〜チュク・ゴンパ 1:00〜1:40 チュク・ゴンパ〜タムドン・ドンカン 2:00〜3:00 タムドン・ドンカン〜ディラプール・ゴンパ 1:00〜2:00 ディラプール・ゴンパ〜チャロック・ドンカン 1:15〜1:30 チャロック・ドンカン〜ドルマ・ラ 2:00〜3:00 ドルマ・ラ〜仏足石 1:20〜1:40 仏足石〜ズルフク・ゴルパ 3:10〜3:40 ズルフク・ゴンパ〜タルチェン 3:00〜4:15 カイラス巡礼についてトップへ = 一日で廻る チベット人巡礼者は、普通、一日で巡礼路を廻ります。朝の六時にタルチェンを出発し、夜の八時に戻る、というように。 十四時間で廻ると、五十二キロですから時速三キロ。この数字自体は何でもありませんが、タルチェンでさえ標高4575メートル、ドルマ・ラでは5630メートルということを考えるとたいへんなことです。 チベット人は、なぜでしょうか、十三という数字に神聖なものを感じています。ですから、十三回は廻りたい。こう考えます。 そのために、彼らは、二十日間とか一ヶ月とかタルチェンでテント生活を送りながら巡礼の回数を積み重ねてゆくのです。 日本人が一日で廻れるか? 廻れるか廻れないかといえば、廻れるかも知れません。でも、止めたほうがよいでしょう。非常に危険です。 富士山でさえ、3776メートルしかないのです。5000メートルの高地を普通に歩くように私たちの身体はできていません。吐き気や頭痛ならいざ知らず、肺浮腫や脳浮腫を発症させることにもなりかねません。 カイラス巡礼についてトップへ = 一泊二日で廻る 一泊二日で廻ろうとすると、宿泊地は、ディラプール・ゴンパかチャロク・ドンカンになる。 一日目は21〜22キロ、二日目は30〜31キロ。時間にすると、一日目は7〜10時間、二日目は11〜13時間の走行になる。 問題は、二日目にドルマ・ラの登りでどれくらい体力を消耗するか。もちろん、この峠を越えなければカイラス巡礼はできないのだが、そこで体力を使い切るようなら、その日のうちにタルチェンまで帰るのはキツい。 二泊三日で計画を立てる方が、一般的には、無難であろうか。 カイラス巡礼についてトップへ = 二泊三日で廻る 一泊目は<一泊二日>と同様ディラプール・ゴンパかチャロク・ドンカンの泊。二泊目は、ズルフク・ゴンパまで。 この場合、二日目は21〜22キロ、三日目は8〜9キロ。時間にして、二日目は7〜9時間、三日目は3〜4時間というところ。<BR> 厳しいなかでも、穏当なコース設定といえよう。 カイラス巡礼についてトップへ = 三泊四日で廻る ゆったりとした気分で廻りたい。できるだけ長く巡礼の苦しみを味わっていたい。写真を存分に撮りたい。スケッチしながら歩きたい。朝はゆっくり寝ていたい。そういう人向けには、三泊四日。 一泊目はチュク・ゴンパ。二日目はディラプール・ゴンパ。三日目はズルフク・ゴンパにそれぞれ宿泊する。 カイラス巡礼についてトップへ = 五体投地で廻る 前にも書いたが、多くのチベット人の巡礼は、十三回廻りたいと考えている。そして、もうひとつ願っていることは、できれば一回は五体投地で廻りたい、と。 とはいえ、いかに高地に強く、頑強にできているチベット人でも、五体投地でカイラスを廻るというのは難行である。 五体投地で進める距離は、一日三キロという。であるなら、十四日かかることになる。日数だけのことではない。余りに苛酷である。特にドルマ・ラの坂の上り、そして急な下り。谷底に飛び込むような恐怖があるはずだ。さらに、何カ所か川を渡る。その時はどうするのだろう。泳ぐようにして渡る? それにしても、現に、実行している巡礼がいるのだから凄い。
タルチェン 標高4575メートル。カイラス(カン・リンポチェ)巡礼の基地になっている。 小川が北から南へ流れる。 北の正面にカイラスを仰ぎ、高台から南を望むとプンドクタン平原とその先にナムナニ峰(7694メートル)が見える。 宿泊施設もあるほか、巡礼や旅行者のテントが点在する。 カイラスを一日で巡礼するチベットの人は、すべての荷物をここにおき、身軽になって出かける。何泊かで廻る人たちは、寝袋や食糧など、必要なもの以外をここに残して出発する。 河口慧海が1900年カイラスを巡礼したときには、タルチェンではなく、もっと西側から巡礼路に入っている。ただし、終点はタルチェンであった。彼は、こう記す。 「ここには30軒ばかりの石造りの家がある。その付近にテントも一二、三見えている。タルチェンはこの辺の一大市場で、また租税を取り立てるところでもある」。 カイラス巡礼解説トップへ = チャンギャガン タルチェンから西に向かう道はほぼ平坦。やがて、石が積まれ、上にタルチョがはためいているチャンギャガンに着く。ここからは、いままで見えなかったカイラスが望める。 ここを出ると、道は下り坂になる。 カイラス巡礼解説トップへ = タルボチェ チャンギャガンから下ってくると、ラ・チュの河原にでる。広い河原を歩くことになるが、ここでは、道は幾筋にも別れ、巡礼は思い思いの道を歩く。 まもなく、右手にタルボチェが見えてくる。 タルボチェとは、もともと、高さ十三メートルの太い柱を言う。柱にはヤクの毛皮が巻かれ、タルチョがかけられている。 毎年チベット歴の4月の満月の日、釈迦牟尼の生誕と悟りと入寂を祝う祭りがチベット全土で行われる。その祭りをシャカ・ダワと言う。 カイラスで、シャカ・ダワが行われるのが、この場所である。 祭りの前日にタルボチェを引き倒し、新しいタルチョに付け替えて、半分ほど引き起こして当日を迎える。当日は、綱を引いて完全に立て直すが、柱がカン・リンポチェに対して真っ直ぐ立つかどうかで吉凶を占う、という。 カイラス巡礼解説トップへ = 仏足石 悪神がカイラスを担いでスリランカに運ぼうとしたことがあった。カイラスの山肌に横に引かれた筋が縄の跡だという。 しかし、ここに聖山がなくなっては困る。釈迦牟尼が、やってき悪神を説得した。そのお陰で、カイラスはここに残った。 その時の釈迦牟尼の足跡が四つ残っている。それを仏足石という。 カイラス巡礼解説トップへ = チュク・ゴンパ カギュ派の僧院。創建は13世紀。文革で破壊されたが、80年代後半に再建された。 巡礼路からは橋を渡り、15分ほど坂を登る。 宿坊があり泊まることができる。 河口慧海もこの寺を訪れている。こう記す。 「私は始め西隅にあるニエンバ・リーゾンという、阿弥陀如来の祀ってある寺に参詣した。その寺がこの霊場ではいちばん収入の多い寺である。日本でも阿弥陀仏を祀ってある寺は収入が多いが、チベットでもそうで、たいへんな上り物である。わずか夏季3か月で1万円内外の物が納まるという。チベットのような霜枯れた土地としては、非常の収入と言うべきだ」。 よその寺の収入なんてどうでもいいじゃないかと思うが、慧海にしては、チベット随一の霊場において、随分俗なことに頭を巡らしたものだ。 カイラス巡礼解説トップへ = 黄金渓 河口慧海が「黄金渓」と呼んだ渓谷である。 左右に岩山が迫る。岩は黒々として青い空に突き刺さるように延びている。その岩肌から幾筋もの滝が落ちてくる。 しかも、その岩山の向こうには雪の峰が控えている。 巡礼前半のハイライトである。 カイラス巡礼解説トップへ = タムドン・ドンカン タムドンとは馬頭観音のこと。馬頭観音を祀ってある。仏足石もある。 ここからは、カイラスの西面を仰ぐ。すぐそこ、手を伸ばせば届くくらいの距離にそそり立ち、見上げる感じでカイラスと接することができる。 そのカイラスに向かって、五体投地を繰り返すチベット巡礼もいる。 カイラス巡礼解説トップへ = ディラプール・ゴンパ カギュ派の寺院。13世紀の創建。文革で破壊され、八十年代後半に再建。 ディラプールとは、ヤクの角の意。地名の由来について河口慧海はこう書く。「これは金剛仏母が姿をヤクの形に変え、この山に始めて巡りに来た。ラマを導き終わると、この巌窟の中に隠れた。その隠れぎわに、岩に突き当たって角が一本落ちた。その角がここに残ったということで、この地をヤクの角のところと呼ぶという」。 この寺に泊まることができる。河口慧海もこの寺に泊まっている。その時の様子をこう記す。 「その寺に着いたときは日暮れだったので、宿を借りると、その寺の幹事はたいへん私を信用してくれて、自分の居間をあけて、この室はちょうどかの雪峰チーセを見るに都合がいい。夜分はごく美しい月を見ることができるから、この部屋に泊まりなさいと言う。(略)そしてその坊さんが、私とはるかに相対している山について説明してくれた。 その門前の南方にあたって、中央に巍然としてそびえている大きな雪峰は、すなわちチーセ山でシャカムニ仏のからだである。その前の東のほうの小さな雪峰は、文殊菩薩である。中央が観世音菩薩、西側が金剛手菩薩の像である。それからいろいろ外に見えている細かな峰について説明してくれ、その夜は真に愉快であった。 その雪峰の前を流れている水は、せんせんとして静かに流れ、そのさざなみに明月が影を宿している。その月光がいちいち砕けて、実に麗しい姿を現している。その水音を聞いて私は、あたかも極楽世界で木の枝に吹く風の声が、正法の声と聞かれるように、この音もやはり仏法の音楽を奏でているかのように感じ、私の心もだんだん深い霊妙な境涯にはいった。やはりわれわれ凡夫は、かかる霊地に来ると、その心まで霊になって、大いに感化をうけたわけである」。 河口慧海に次いで、カイラスを日本に伝えたのは長谷川伝次郎であった。写真家。1897年の生まれ。美術修行のためにインドのビスワバラティ大学芸術科に留学。その間の1927年、西部ヒマラヤ山脈を横断してチベットに入り、カイラスを旅する。そのときの写真と紀行文が『ヒマラヤの旅』。1932年の発行である。日本の若い登山家にヒマラヤへの夢を掻き立てた。特に有名なのが、本の巻頭を飾った北壁のカイラス。 深田久弥はこう言う。 「その本の中のカイラス巡礼紀行は、まだわが国にヒマラヤ記録の乏しかった時、私を魅了した文章であった。そしてその豊富な美しい写真集の最初に、北側から間近に見たカイラスの姿が載っていた。その北壁は2000メートルの凄い絶壁になっている。おそらく長谷川氏のこの写真は、カイラスを撮った無数の中の最高であろう。私が初めてカイラスを知ったのはこの写真であった。」(『ヒマラヤの高峰』白水社) この北壁のカイラスを撮った時の状況をが、『ヒマラヤの旅』にはこう記されている。 「寺院の下まで来て、河を渡ろうとしてふり返ると、カイラースの峯が、霧の晴れた谷の間に全山容をすぐ手近に現した。マサジーも僕も狂気せんばかりに喜んだ。時計を見るともう七時だ。もっと近づいてドームの根基まで見たいものと、岩を這い上がって行った。折角登ると、更にその先が遮られている。また登っていく。時間は遠慮なく過ぎて、あたりは暗くなった。マサジーは先にどんどん行ってしまった。もう八時だ。薄霧が去来する間に、白銀のドームが眼前にほんのりと浮ぶ。急ぎ三脚を据えて、15分間の露出でカメラに撮った。」 マサジーとは、この時同行をしていたインド人の学生である。ここで謂う「15分間の露出」の写真が、深田久弥らを魅了した北壁のカイラスであった。そして、ここで謂う「寺院」が、ディラプール・ゴンパである。 カイラス巡礼解説トップへ = チャロク・ドンカン チャロク・ドンカンからながめるカイラスの北岸は素晴らしい。朝であれば、山頂の雪が黄金色に染まる。 チャロク・ドンカンを過ぎた辺りから勾配がキツくなる。坂はそのまま、巡礼路の最高地点であるドルマ・ラまで続くことになる。 カイラス巡礼解説トップへ = 鳥葬場 右手に鳥葬場が見えてくる。色とりどりの衣服や靴が散乱している。 鳥葬にふされた人の衣服であるよりも、巡礼者が着ていた服を脱ぎ捨てて行く。そういうことらしい。 今まで身に纏っていたものを脱ぎ捨て、新しい自分に生まれ変わる。死と再生を、擬似的に、体験する。そういう意味なのだろう。 カイラス巡礼解説トップへ = ドルマ・ラ ドルマ・ラへの登りが続く。左右は河原になる。至るところで石積みがみられる。 石を積むのは、どういう意味だろう。巡礼に来たことの証を残す、ということなのか。余り大きな自然のなかで、余りに慎ましやかであるがそれにしても人が生きていることの証をしたいという欲求なのか……。 日本でも、賽の河原に石を積む、という言葉がある。一般に、幼くして死んだ子供がが賽の河原で石を積むことを言う。まだ善業も積んでいない。父母の恩にもむくいていない。そのため、死んだ子供は、石をつんで小さな塔をつくり、地蔵菩薩を供養することによって、罪をのがれ、三途の川をわたることができる。そういう意味合いの言葉である。 河口慧海は「三途ののがれ坂」と呼んでいる。おそらくは、河原であること、石積みがされていること、そういうところから「三途」が連想されたであろう。 慧海はここで、有名な懺悔の言葉を紹介している。「強盗の本場であるカムの人」が過去の罪を悔いているばかりか、これからおこす罪までも懺悔しているという……。 「アア、カン・リンポチェよ。シャカムニ仏よ、三世十万の諸仏菩薩よ。私がこれまで幾人かの人を殺し、数多くの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をして人をなぐったりした、いろいろの大罪悪を、ここで確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し、人の物を奪い、人の女房を取り、人をぶんなぐる罪も、この坂で確かに懺悔いたしておきます」。 この坂を登り切ったところがドルマ・ラ。巡礼路最高地点。5630メートルである。ここからはもう登りたくても登れない。下るしかない。 カイラス巡礼解説トップへ = ズルフク・ゴンパ カギュ派の僧院。文革で破壊されたが八十年代後半に再建。ミラレパが開いたという。だとすれば十一、二世紀の創建と言うことになる。 僧院の奥には洞窟があり、ミラレパが瞑想に耽った場所という。 『ミラレパの伝記』にも、弟子の「あなたが瞑想をしていた窟を訪れたい弟子たちのために名を示して欲しい」という願いに対して、ミラレパが挙げた「名高い四つの大巌窟」のひとつとして登場する。そこでは、「カイラス山の奇跡窟」と呼ばれている。 また、河口慧海も、この寺で一泊している。
タルチェン 標高4575メートル。カイラス(カン・リンポチェ)巡礼の基地になっている。 小川が北から南へ流れる。 北の正面にカイラスを仰ぎ、高台から南を望むとプンドクタン平原とその先にナムナニ峰(7694メートル)が見える。 宿泊施設もあるほか、巡礼や旅行者のテントが点在する。 カイラスを一日で巡礼するチベットの人は、すべての荷物をここにおき、身軽になって出かける。何泊かで廻る人たちは、寝袋や食糧など、必要なもの以外をここに残して出発する。 河口慧海が1900年カイラスを巡礼したときには、タルチェンではなく、もっと西側から巡礼路に入っている。ただし、終点はタルチェンであった。彼は、こう記す。 「ここには30軒ばかりの石造りの家がある。その付近にテントも一二、三見えている。タルチェンはこの辺の一大市場で、また租税を取り立てるところでもある」。