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九寨溝地図


九寨溝 - 独断・偏狂の私的旅行記 -


いまハヤリの九寨溝

 どんなことにもハヤリとスタリがあります。

 小学生の頃、「ダッコちゃん」なんていうのが流行っていました。なんであんなものを、大人も子供も腕に巻いて歩いていたのでしょうね。今考えると、不思議ですけど、それがハヤリというもので……。

 旅行にもハヤリがあります。もちろん、中国旅行にも。桂林だったりシルクロードだったり黄河だったり三峡だったり。ハヤリですからそのうちスタリます。でも、旅行の場合、また何年かするとハヤリに戻ってきます。5年とか10年の周期で。三峡を例にとれば、第一次のブームは80年代後半、客室にお風呂などを備えた豪華客船の相次ぐ就航が火付け役でした。次は、90年代半ば、チャーター船を利用したコンパクトなコースが大人気を博し、第三次は90年代終わり、新三峡ダムの貯水開始を目前にした「さよなら三峡」というキャッチが人々を駆り立てました。少しずつ形を変え、ブームは螺旋状に繰り返す、とでも言えばいいでしょうか。とにかく、それにしてもハヤリとスタリがあるものです。

 さて、中国旅行の、今年一番のハヤリは、おそらく、九寨溝でしょう。売れ始めたのは数年前からです。「こういうところが売れるだろうか?」。私はもともと懐疑的でした。なぜなら、九寨溝はいままでハヤッてきたところとかなり趣を異にしているからです。

 何が違うのでしょう?

 今まで中国で人気を呼んだところというのは、何らかの意味で、文化的・歴史的な背景を色濃く持ったところでした。シルクロードもそうです。砂漠のなかの一筋の道に、人々は二千年前のラクダを隊商を連想し、花と匂った長安の栄華を想像し、仏法を求めひたすら西に向かった三蔵法師玄奘を想いました。三峡の躍動する流れには、「朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にしてかえる」という李白の詩を重ねていました。そういったものから最も遠い桂林でも、純粋な自然と言うよりも、「水墨画の世界」というような視点から人々は桂林に憧れたものでした。

 しかるに、九寨溝はどうかと言うと、これが、本当に自然しかないのです。それも、池しかない。李白もいなければ諸葛孔明もいない。水墨画も書道もない。こういうところが本当に日本人に喜ばれるだろうか?

 これが私の疑問でした。

 でも、不思議と売れていました。池しかないのに。

 で、昨年の晩秋、実際に行ってきました。「なんで売れるのだろう?」、と。行ってみたら、驚きました。これが、本当に凄い。呆然とします。我を忘れ、言葉を忘れ、ただボーとする。それくらい美しい。 「九寨溝」。渓谷です。渓谷に沿って九つのチベット族の村(寨)が点在する。それが名前の由来だそうです。

 岷山山脈の懐深く原始林に覆われた山々が折り重なり、さらにその山々を取り囲むように万年雪を戴いた高峰が連なります。その原始林を穿って30キロにわたり深い渓谷が続きます。渓谷の水量は豊かで滾々と流れます。この30キロの間の高低差が1キロ。かなり急です。地勢は、下りながら段々を造っています。その段々ごとに滝があり、激しい流れがあり、湖があります。滝の数は17、激流は11カ所、湖の数は114と言います。その組み合わせです。水の流れの諧調が、時には激しく時にはゆったりと、ひとつのハーモニーを奏でます。そのハーモニーにうっとりしながら人々は滝から湖へ、湖から激流へと経巡ります。 鮮烈で豊かな水の流れも美しい。滝も美しい。しかし、何と言っても一番凄いのは湖です。その色が凄い。湖によって色が違います。エメラルド・グリーンだったり、透き通った青だったり、真っ青だったり。透明な白だったり。同じ湖でも光線の当たり方、見る角度によって変化します。何時間見ていても飽きるということがない。

 「この世にこんなところがあったのだ」。見学をしている間も、日本に帰ってからもしばらくは、こんな言葉がずっと頭の中でクルクルと廻っていまたした。文化でもなく歴史でもない。ただの自然。そこに日本人が来る。それは大きな変化の前兆なのかも知れません。あるいは、「ダッコちゃん」のような一時のハヤリなのかも知れません。それにしても九寨溝は凄いです。是非一度行かれることをオススメします。行くなら今です。ハヤリのうちにお行きなさい。「ダッコちゃん」だって、みんなが腕に巻いている間にしなければ面白くも何ともないでしょう。
 旅行だって同じです。

(「トコトコ」2004年3月号に掲載)