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独断・偏狂の私的旅行記 中国旅行大全


桂林 - 独断・偏狂の私的旅行記 -


広西壮族自治区・桂林

 山の形が何とも言えない。細長く、天辺が例外なく丸くなっている。大きくはない。暖かいホンワカとした形だ。よそでは余り見ることはない形だけに、奇山奇峰と言われるのもうなずける。それが、無数に聳えている。
 桂林の人々はその奇山奇峰に囲まれて暮らしている。朝にはお年寄りが川辺で太極拳をしている。その背にあるのは朝日を受けシルエットになった奇岩奇峰。昼には農民が水牛に鋤を引かせて水田を耕している。その水田を取り囲んでいるのは奇山奇峰。夕暮れには子どもたちが漓江で泳いでいる。夕陽に赤く染まった川面に影を落としているのも奇岩奇峰。
 さて、このように桂林の至る所から眺められる奇山奇峰だが、その味わいの深さは、何と言っても、漓江下りに尽きる。私も十回以上漓江下りの船に乗っているが、何度乗っても初めてのように驚く。何と不思議な風景なのだろう、と。
 船は漓江の流れに乗って下る。岩と岩の間を縫うように進む。前後左右に奇岩奇峰が群れとなって現れる。進むに従い、遠近の山々の重なりが微妙に変化し続ける。やがて視界は開け、南中国の湿った空気のなか、奇岩奇峰の群れは、近くは濃く遠くは薄く神韻を帯びた階調の美を描き出す。風景は色を失い、無色の階調だけの世界になる。白黒写真が写し出す風景が、実際にはこの世にない風景であるように、階調だけの風景などはあり得ないはずなのに……。あり得ないはずなのに私たちは、船が進むに従い、ずんずん濃淡の階調だけの風景のなかに入っていく。その非現実感。美しさに周りの人々が声を上げる。船の上は現実。周りの風景は非現実。現実が現実のまま非現実に入ってゆく。そんな不思議な感覚に酔いしれて過ごす四時間。漓江下りの醍醐味である。

(中日新聞・東京新聞の2002年9月29日日曜版に掲載)


−中国旅行大全−
桂林 陽朔 龍勝 三江
南寧 柳州

桂林(けいりん)

 桂林は広西壮族白治区に属する。広西壮族白治区は略称を「桂」といい、中国の南都に位置し、南は南シナ海のトンキン湾に臨む。
自治区人民政府の所在地は南寧市。
 住民は壮族、漢族、ヤオ族、苗族、トン族、イ族、回族、水族、京族など。そのうち、三分の一を壮族が占める。
 盆地状の地形に、丘陵が連なり、その間を縫って渓谷が縦横に走る。石灰岩がひろく分布しカルスト地形を形成し、奇峰がそびえ、鍾乳洞がおおい。
 桂林は古くからその山水を称えられ、「桂林の山水天下に甲たり」などと言われている。

<桂林王城>(けいりんおうじょう)

 桂林市の市街の中心部にある。明代の靖江王府。明の太祖洪武帝(朱元璋)の甥の子である朱守謙が靖江王としてこの地に封ぜられた。朱元璋は、中国統一後、一族を各地に配置し王朝の安定を図った。明が滅亡するまで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていた。
 造営の完成は1393年。周囲は約1.5キロ(東西250メートル、南北500メートル)で、城壁の表には方形の石を積み上げ、内側には砂と砕石が打ち固められている。東西南北にそれぞれ門がひとつずつ設けられている。
 清代に科挙の試験場である貢院として使われ、また、中華民国の時代、孫文が北伐の司令部を置いたこともある。現在は、広西師範大学のキャンパスになっている。
 キャンパス内、独秀峰の麓に靖江王府ができている。

独秀峰>(どくしゅうほう)

 高さ70メートル。紫金山ともいう。桂林市の市街の中心、広西師範大学のキャンパスのなかにある。306段の階段がつけられていて、頂上まで登ることができる。頂上からは周囲の奇峰と桂林市の全景、そして町の東側を流れる漓江が一望できる。
 五世紀、南北朝時代の詩人・顔延之がこれを見て詠んだ詩より名が付いたと伝える。「未若独秀者、峨峨郛邑間」(いまだ独り秀でた者にしかず、郛邑の間に峨々たり)。郛邑とは城郭や街をいう。街のなかにあって独り聳えた姿を称えられた。この姿より「南天一柱」と称えられる。

<伏波山>(ふくはさん)

 市内、独秀峰の東。漓江の河畔にそびえる秀麗な孤峰。高さ30メートル。漓江に突き出るように立つため、漓江はここに深い潭を形成し、美しい風景を造り出している。
 石段が作られていて頂上に登ることができる。
 還珠洞という鍾乳洞がある。天井から鍾乳石が垂れ下がっており、地上に届くまであと数センチのところまできている。
 伏波山の名前の由来は、二通りの説がある。ひとつは、この鍾乳石に関するもの。地上までの数センチを、後漢の伏波将軍馬援がこの地に遠征したとき、剣の切れ味をためすために鍾乳石を切った痕だと言う。そして、伏波将軍の伏波が山の名になった、と。
 もうひとつは、逆巻く波を平伏させる山、という意に由来したという。

<畳彩山>(じょうさいざん)

畳彩山の頂上より
 市街の北部にある。市街の景勝地のひとつ。キンモクセイ(桂花)が多いことより地元では桂山とも呼ばれることがある。山頂に風洞があるため風洞山ともいう。
 四望山、于越山、仙鶴峰、明月峰からなる。遠くの山々、眼下の漓江、漓江沿いの家々の屋根。山の上から眺望する風景はすばらしい。
 また、登る途上、山腹には洞窟があり、唐宋依頼の詩文の題刻や仏龕に彫られた仏像がある。

<蘆笛岩>(ろてきがん)

 市街から北へ6キロ。光明山にある鍾乳洞。付近に笛作りにつかう蘆が密生していることからので麓笛の名が付いたという。
 右へ左へ折れ曲がりながら全長500メートル。獅嶺朝霞、石乳羅帳、原始森林、雲台攬勝、盤竜宝塔、簾外雲山、遠望山城、幽景聴笛などといかにも中国的に名付けられた場面を経巡る。
 一回り40〜50分程度。ちょっとした地底旅行の気分になれる。

象鼻山>(ぞうびさん)

 桂林市で漓江は桃花江と合流する。その合流点にある。巨象が漓江に鼻を伸ばして水を吸っているような形をしている。
 象山公園という公園になっており、象鼻山のほか、普賢塔、雲峰寺などがある。

世外桃花園>(せがいとうかえん)

世外桃花園
 広西壮族自治区の各民族の民俗をテーマにしたテーマパーク。
 桂林の南東、陽朔まで15キロの地点にある。ヤオ族、苗族、トン族などの少数民族の住居や暮らしぶりが紹介されている。
 園内は舟で廻る。遠く近く奇岩奇峰を見渡しながら舟はゆっくり進む。舟の上から、少数民族の歌や踊りのパフォーマンスを楽しむ。

漓江下り>(りこうくだり)

 桂林観光のハイライトは何と言っても漓江下り。
 桂林の南、竹江の船着き場から二十キロ、五時間ほどのクルーズである。
 下るほどに次から次へとカルスト地形独特の奇岩奇峰が現れ、飽きることがない。晴れてよし、雨でよし。霞のなかに色を失った濃淡だけの水墨画の世界を堪能できる。
 終点は陽朔。
 一月から三月の渇水期には、コースが短くなることもある。


陽朔(ようさく)

 桂林の南東65キロ。漓江下りの終点が陽朔である。
 桂林一帯と同様三億年前までは海の底であった。石灰岩の地形のなかを、漓江が北から南へ貫流している。風雨の浸食による奇怪な形をした峰峰が連なり、切ったように岩壁がそびえる。
 古くから、「陽朔の山水桂林に甲たり」(陽朔の山水は桂林に勝る)といわれた。優劣は別にしても、山水画の不思議な世界に迷い込んだような気分を味わえるところである。

山水園>(さんすいえん)

 船着き場のすぐそば。碧蓮峰の東の麓にある。
 碧蓮峰は陽朔を代表する山で、四季を通じて緑に覆われている。東は漓江に臨み、漓江に倒影する姿は美しい。峨々として緑が深いにもかかわらず、陽朔の村落と接していることから「碧蓮峰のうちに人家をとどむ」などと詩文に詠まれている。
 麓の鑑山寺は唐代の創建。
 登って遠望すると、秀麗な山水が間近に広がる。
 古来山水を眺めるに絶好の場所とされ、朝は「東嶺朝霞」、夕は「白砂漁火」と言われてきた。
 途中に、清代の王元仁の書いた巨大な「帯」の字が岩壁に彫られている。

<屏風山>(びょうぶざん)

 陽朔公園にある。町の西のはずれに当たるが、町に向かって絶壁が切り立っているため屏風山という。岩肌の色は赤黄色である。
 中腹に人間が立っているように見える岩がある。西郎山と名付けられ、漓江を挟んだ東の郊外の東郎山と兄弟とみなされる。「西郎何事ぞ西方に面し、東郎に会わんと欲するも大江を隔つ。」などという詩が残されている。
 石段がつけられおり、登ることができる。上からは、町の全景と、山水園のある碧蓮峰の景観を一望できる。

月亮山>(げつりょうざん)

「月亮」とは中国語で月のこと。陽朔から南西へ10キロ。山の中腹に満月のような丸い穴が開いていて貫通している。これも石灰岩の風化による。<BR>
 月亮山がある地区は、高田郷といい、桂林独特の丸い山々と田んぼの組み合わせの風景で有名なところである。漓江下りで見る山々とは、またひと味違った美しさがある。

榕蔭古渡>(よういんこと)

 陽朔の南方6キロ。金宝河の河畔に榕樹(ガジュマロ)の大木が一株、広々と葉を広げている。その傍らに古い渡し場があり、榕蔭古渡と呼ばれている。
 隋代、陽朔県を設けたときに植えたと伝えるが真偽のほどは明らかではない。
 木の幹の太さは、数人がかりでやっと抱えられるほどで、また、枝葉が欝蒼と生い茂り、その広がりは百平米に達する。

興坪>(こうへい)

 陽朔の北25キロにある小さな村。
 煕平河が漓江と合流する。水豊かにして緑は濃い。
 古い木造の家屋が建ち並び、ニョキニョキとした山々に囲まれ、漓江の流れに寄り添う。
 いかにも牧歌的な中国の南方の農村風景を絵に描いたようなところである。「陽朔の山水は興坪にあり」とも言われるくらいに美しい。
 漓江下りで通るのであるが、その味わいは、やはり歩いてみないと分からない。


龍勝(りゅうしょう)

 桂林から北へ100キロ。湖南省との省境にある。一面の棚田の美しさで知られる。
 付近には、ミョウ族、ヤオ族、トン族、壮族などの少数民族が暮らすが、一帯の山の斜面に、彼らが先祖代々営々と山を削り開墾をしてきた棚田が広がる。
 棚田を利用して栽培しているのは稲である。田植えが終わった五月頃と稲穂が黄色く実る九月頃は特に美しい。


三江(さんこう)

 広西壮族自治区と貴州省と湖南省の接するところに三江トン族自治区がある。トン族の他、ミョウ族、ヤオ族らが暮らす。
 貴州省からこの辺り一帯にかけては、深い山があり、そこに村落が点々としている。村には少数民族いて、木造の民家の村があり、そこに市が立ち、トン族独特の風雨橋があり鼓楼がある。
 そんな村々の中でも最も美しい橋と鼓楼をもつのが三江である。

程陽風雨橋>(ていようふううきょう)

 風雨橋は、トン族独特の橋である。橋の上に楼閣式の建物が造られている。木造の橋であり、また、この辺りは雨が多い。橋を雨から守るために屋根を付けたのが始まりと言われる。
 程陽は地名。長さ76メートル、幅3.4メートル、楼閣の高さは10.6メートル。
 屋根は五層。黒い屋根に白い縁取りがしてあるトン族独特の意匠である。現存のものは1916年の架設。

馬胖鼓楼>(ばはんころう)

 風雨橋と並びトン族独特に文化を代表するのが鼓楼である。
 鼓楼はトン族にとって特別な場である。若い男たちが琵琶を弾き、女たちが歌を歌い、恋人を探す場である。また、裁判など、村の重要な決めごとをする場でもある。
 馬胖鼓楼は九層、高さは13メートル。三江の山から伐られた杉の木で造られている。


南寧(なんねい)

 広西壮族自治区の区都。ヨウ江、左江、右江の三つの流れの合流地点近くに開けた町。左江はベトナムに通じ、右江は貴州・雲南へ通じ、ヨウ江は広東へ通じる。要衝の地であり、古来通商の要地でもあり兵家必争の地でもあった。
 中国の版図に入ったのは秦代からとされる。
 南寧と呼ばれるようになるのは元代からである。その名からも、ベトナム経略の拠点として位置づけられていたことが知れる。

広西壮族自治区博物館>(こうせいそうぞくじちくはくぶつかん)

 開設は1954年。1978年に1万2900平米の陳列大楼を新設し現在の姿になった。中国南部の風格と少数民族の意匠をもった様式になっている。
 展示されているものは、苗族、ヤオ族、トン族、壮族など自治区内の少数民族に関する資料。新石器時代から青銅器時代の出土品。それぞれに楽しめる。
 特に素晴らしいのは、古代の銅鼓の蒐集。銅鼓は本来楽器として作られたが、雲南・広西では、権威の象徴ともなり、独特な形式と独特な美を産み出してきた。その銅鼓を320をも収蔵している。

<広西薬用植物園>(こうせいやくようしょくぶつえん)

 南寧市の東部にある。開園は1959年。中国でもっとも多くの薬用植物を擁する薬用植物園である。
 総面積200ヘクタール。植えられている薬用植物は2100種余りである。


柳州(りゅうしゅう)

 中国人は、「生在蘇州・穿在杭州・食在広州・死在柳州」という。
「穿」は服を着ること。杭州の絹織物を言っている。つまり、生まれるなら蘇州で、着るなら杭州で、食べるなら広州で、死ぬなら柳州で、と。
 なぜ、「死在柳州」というと、柳州で木材で作る棺桶は一番だ、と。
 広西壮族自治区の中部。柳江の流れに沿って開けた町である。

<柳侯祠>(りゅうこうし)

 柳侯公園のなかにある。唐代の文人・柳宗元(773-819)を記念し、死後三年、821年に羅池の畔に創建して羅池廟と言われたが、宋の徽宗(在位1100〜25)が柳宗元を文恵侯に追封すると同時に改称させたもの。
 柳宗元は二十一歳で科挙。官は監察御史まで進むが、改革を主張する王叔文のグループに加わるが、政争に敗れ、永州司馬、ついで柳州刺史に左遷された。
 現存する建物は清代の再建。
 貴重な石碑を多く擁することで知られる。柳宗元の筆跡と伝える「竜城」の石刻。蘇東坡の筆になる韓愈(768-824)の詩「茘枝」碑。元代に彫られた柳宗元の画像などである。

<魚峰山>(ぎょほうざん)

 魚峰公園にある。岩山が、鯉が直立しているような姿であることから、唐代の柳宗元(773-819)が石魚山と命名、現在名になったという。

東門楼>(とうもんろう)

 かつての城郭の東門である。
明代1379年の建造。高さ17メートル、二層の屋根になっている。